2016年9月15日木曜日

「お変わりないですか」

いつも使ってきた言葉を最近使わなくなってきたことに気づく。

 
やはり情報がメールやFecebookなどで手に入るからなのか、
 
ニューヨークにいる娘とは毎週 Line 話している。
 
 
手紙を書くことも随分と減った。

 

この挨拶には様々な意味が含まれている。
 
相手へのまなざし、気遣い、思い遣り。
 
 
今年の台風が様々な爪痕を残したように、日本という国は古代か
 
災害や疫病に見舞われては復興し、たくましく生き抜いてきた。
 
 
互いを思いやる言葉にはそんな気持ちが込められている。
 
何事もなく安泰であることを願い、その思いが挨拶として残ったのだろう。

 

「おもてなしの心」にも、こうした精神が受け継がれている。
 
善光寺表参道でギャラリーを経営して、我が店でも、これから参拝する方には
 
「いってらっしゃいませ」と言い、参拝のお帰りに立ち寄られた方が店を出る時
 
には「お気をつけお帰りください」と声をかける。

当たり前と思って、言ってきた言葉の中にもそれはあった。

 

思いがけなく知人に会ったら、「お変わりないですか」と言い、
 
病気であったと分かれば、「お大事に」と言って分かれてゆく大人を見て育った
 
たちがこういう言葉使わなくなったら、その子供たちはどんな風に育つだろうと想像してみる。

 

今宵は9月15日、満月である。お団子を15個丸めながら、
 
一個ずつ丸めては、ちょっと指で押して凹ます。
 
それは私たちが未だ命が満ちていないからという意味だ。
 
だから、亡くなった方のお供えする時、白米をまん丸に盛るのは、命満ちましたということ

でお月さまのように盛るのである。
 
そんなことを私は教えている。
   


今宵は月を眺めながら、手紙を書こう。
 
メールでもLineでもなく、手紙で。
 
 
もちろん書き出しは「お変わりないですか」と。

 

来月の十三夜にはまた月にまつわるお話をしてみよ

う。「しつらい月語り」とでも称して。 
 
 
                              絹代

1 件のコメント:

  1. 日本の季節の素晴らしさ、美しさは離れて実感するもの。
    自分の中に日本があることを忘れずにいたいものです。
    家族もまたしかり。
    離れると恋しいものが(人が)あることの幸せを噛み締める十五夜です。

    返信削除